人生ハナモゲラ

人生なんて、世界なんて無意味。それでいい。それがいい。

復学

京都に来て3年が経った。

本当に色々なことがあった。大学の自治寮という特異な空間で生活し、高校時代では考えられないほどたくさんの人と出会い、朝方までただ意味もなく駄弁り、徒らに延々とくだらない動画をみんなで見たり。そして、寮の外では、多くの人が名前しか知らないような外国に行ったり、自分の身の丈に全くあっていない重大なポストに就いたり、女装をしたり、失恋したり。そして友人の死を経験した。

昨年1年間は休学した。今の状態で大学に通ってたら留年するに違いないと、ただそれだけの理由でとりあえず大学を休むことにした。結局、ただ文字通り休んでいた。「休学して何してたの?」と聞かれても、何も答えられない。ただ休んでたとしか。

長い人生、そういう時期も必要かなと思うようにする。もう終わってしまったことなので。正直後悔している。せっかく休学したのにもっといろんなことができたんじゃないかって。だからこのことを次に生かして生きていけばいいのです。

休学して何もなかったので、復学して、学問を究めていく所存である。大学生であるにもかかわらず、3年間全く学問してこなかった私が学問を究めるなんて大変烏滸がましい事極まりないのであるが、飽くまで心持ちとしては、「学問を究める」でいこうと思っている。戦っているレベルは人と違っても、彼らと同じ方向を僕も向いていることに違いない。より深く、である。

この1年間は言語学という分野について研究を深め、学位論文の題材を探し、さらにはロシア語とポーランド語、英語をかなりのレベルにまで身につける。ロシアに留学したいな。しかし働かないと。この辺の折り合いはどうしてつけていけばいいかわからないが、さすがにいつまでも親のスネをかじっていくわけにはいくまい。ロシア語を必要とする仕事にとか。再来年はクロアチアセルビアの言語も身に付けたい。

あと、最後に、やっぱり彼女が欲しいです。

今日までそして明日から

私立恵比寿中学松野莉奈さんが18歳という若さで亡くなったらしい。


僕は、私立恵比寿中学は名前くらいしか知らなかったし、彼女のことは今日まで存じ上げなかった。全く知らなかった方の死について書くというのはどうかと思うけど、赦してください。


吉田拓郎の「今日までそして明日から」を松野さんが歌っているのを見て、とても悲しい気持ちになった。


“そして今思っています、明日からもこうして生きていくだろうと”


明日からも生きていくんじゃなかったの...


大学に入ってからの僕のテーマはずっと「死」だ。2回生の夏に、僕と一緒に関東から京大文学部にやってきた彼を亡くしてから、そのことばかり考えている。



死ぬのはどうしようもなく辛い。死んでほしくなかった。僕も死にたくない。死後の世界なんてあるかわからないけど、もう1回彼と喋りたい。退院したら飲みに行こうって言ってたのに。そんなに重そうな感じじゃなかったじゃん。なんだよ。本人も死ぬなんて思ってなかったんだろうな。未だに意味がわからない。なんでだよ。どうして彼が死ななきゃいけなかったのか。どうして彼女が死ななきゃいけなかったのか。


僕は何をすれば正解なんだろう。正解なんてないけど、ただぼけっと過ごしてただ時が流れるだけ。今の自分が不甲斐ない。彼に天国であったときなんて説明すればいいの?ダメじゃんオレ。



よくさ、「いつ死んでも後悔しないように生きろ」みたいなこと言うじゃん?でも、いつ死んでも僕はいやだ。そんな生き方むりだよ。でも生きないとね。どんな生き方でも生き続けることが大切だ。彼が死んで多くの人が悲しんだに違いない。実は彼の死を他人と共有したことがないのでけれど、そうに違いない。僕にだって親がいるし、少ないながらも友人がいるし、僕が死んだら悲しいだろう。だから生きる。力強く生きる。いまのオレは全然力強くない。かっこ悪い。こんなんじゃダメだ。

ハンドルを放す前に

 先日の1月22日日曜日、umeda AKASOにてOGRE YOU ASSHOLEのワンマンライブを見てきた。OGREのライブに行くのはこれで7回目なるのだが、実はワンマンは初めてだった。しかしOGREこそワンマンだった。本当に素晴らしいライブだったので、帰りの阪急でメモ帳に書きなぐったものをここで清書してみようと思う。

 

今まで見に行ったOGREのライブ。

 筆舌に尽くし難いほど素晴らしかった。最高。これほどまでに、骨の髄まで、心の奥底まで、染み込むような、そしてこんなにも神秘的で、洗練された美しいライブを見たのは初めてだった。2時間があっという間に過ぎていた。とても濃密な2時間だったと思う。全てが有機的につながっている一つの作品のようであった。

 終始リラックスしながらほぼ一番後ろから彼らを見た。会場全体が思い思いの形で揺れる姿が見える。後からみんなが恍惚としているのが伝わってくる。そして自らもさらに恍惚としてしまう。空いてはいないが、混雑はしているのでもなく、人を押しのけて前に行く人はいない。誰もがこの素晴らしい空間を保とうと、秩序が守られた整然とした空間だった。まるで真空状態にいるような、そんな錯覚を覚えた。その真空状態の中で時折目をつぶる。そしてまたうっとりする。このまま溶けてなくなってしまいそうになる。 

 umeda AKASOというハコ、照明、そこにいる人たち、そしてOGRE YOU ASSHOLE。すべての要素が絶妙に相俟ってこの奇跡を作り出していたと思う。OGREは動と静がうまく調和している。元々は「動」の音楽だったが、『homely』以降、急に「静」の音楽をつくるようになった(と、勝手に言っている。homelyを聴かずに行った多摩美芸術祭でのトクマルシューゴとの対バンの衝撃は忘れられない)けれど、あれから5年、それまでの「動」の音楽と、「静」の音楽が見事に融合した音楽だった。「静」の音楽と言っても、それは時にかなりの轟音なのだが、全くうるさくなく、なぜかうっとりしてしまう。この一文にだけでも何重にも矛盾のあるような気がするが、それがこのバンドなんだと思う。なんだかとても不思議である。

 長々と色々なことを書いたが、時に言葉は無力である。あのライブの良さを1%も伝えられてはいない。もはやそこに言葉はいらないのかもしれない。ああ、なんて素晴らしいバンド、素晴らしいライブ、素晴らしい音楽なんだろう。ため息が出てしまう。

2×2×2×2×2×3×3×7

 2016って結構切りのいい数字。全て一ケタの素数の組み合わせでできる。なんか気持ちいい。

 2017は素数。2011以来6年ぶり。次は2027年までないみたい。どうでもいいけど、数を見ると素因数分解したくなる。この前、前を走っている車のナンバーが3653だったとき、頭の中で素因数分解してたら、13×281だったのを発見した時はうれしくなった。どうでもいいな。

 

 

 

 2016年を振り返ると、10月から体育会幹事長をやった(いや、まだ9か月もあるけど、とりあえず仕事の8割は最初の3か月に詰め込まれてる)っていうのと、思い付きで大学を休学したというのと、海外に3回も(延べ11か国、2か月弱)行ったていうのがあって、こう書くとけっこう激動って感じがするけど、自分の実感としてうっすい一年だったと思う。

 

 僕は太くて短い人生よりも細くて長い人生がいいと思うので、薄くて細い1年だったけど、こうやって年の瀬を迎えていることが幸せなんだと思う。今年も何人か親戚を亡くした。我が家は基本的に短命な気がする。でも祖母は元気だ。ちょっとぼけてるけど。いつまでも元気でいてね。去年は大事な友達を亡くしちゃった。ずっと一緒にいた彼を。元気にしているかな。とりあえずデヴィッド・ボウイの天国でどんな感じなのか聞きたい(笑)あいつは興味ないか洋楽とか。同い年の人が死ぬのは辛いから、みんな死なないで。僕も絶対死なない。今でも彼のことを思い出すと泣いてしまう。夢でよく会えるからいいんだ。また会おう。

 

 海外に行った話をする。2月に行ったバルカン半島。旧ユーゴスラヴィアの各都市を回った。クロアチアスロヴェニアは行けなかったけど。初めての海外一人旅はめちゃくちゃ緊張した。2週間も一人で異国で過ごすなんて寂しいし辛いよってことしか考えられなくなって、直前にすごく怖くなった。しかも行先がベオグラードセルビアの首都)って。おかしいでしょ。でも親はもっと心配だっただろうな。

 

 横浜で生まれ育って、今は京都。生粋のシティボーイ(?)の僕は、海外の大自然も世界遺産もなんの興味がなく、ただ街をブラブラ歩くのが好き。それが良かった。スコピエマケドニアの首都)とかポドゴリツァモンテネグロ)とか、東欧の首都は基本なにも見どころはないただの街。ベオグラードもそう。バーガーキングとマックとスタバとサッカーのスタジアム、そしてたくさんの教会。でもそれでいい。現地の生活感を肌で感じるのがとても楽しかった。キリル文字が読めるようになると、看板の単語には大体わかるようになる。それが楽しい。

 

 一方、もうちょっとこじんまりとした町に行くのもよかった。ウジツェというセルビアの町は特に。ウジツェは京都や横浜の10分の1くらいのスピードで人々が生活していた。平日の昼間からカップルがイチャイチャしていて、広場ではおっちゃんがチェスやバッグギャモンに興じる。最高ではないか。ホステルの人もみんなフレンドリーだったし。まあ英語もまともにしゃべられない僕は結構困ったけど。

 

 英語をまじめにやってこなかったこととベオグラードで出会った女子大生の連絡先を聞かなかったことは、ちょっとだけ後悔しているけど、初めての海外一人旅は素晴らしかった。

 

 最近、大学で何を卒論の題材にしようかとかよく考える。大学生なんだから当たり前だし、何を阿呆なことを言っているのかという感じだと思うけど、休学しているとだんだん自分が大学生であることを忘れてしまって。来年度復学するが、旧ユーゴスラヴィア地域についてやろうということは決めた。そのために今はセルビア語を勉強している。2017年はもっとやろう。

 

 バルカン半島で骨をうずめる気はないけど、2年くらいは向こうで暮らしたいな。お金がないから、いつになるかわからないし、院に行くかもわからないけど、留学したい。

 

 体育会幹事長は、どうなんだろう。多分、就活で使える(らしい)ので、就活のためと割り切って頑張ろうと思う。同期や後輩とも仲良くやれればそれが何より。お給料もらっているわけではないから、責任もクソもない。楽にやるだけ。多分先輩よりダメな幹事長だけど、まあそんなもんじゃない。僕は都合よく、自己評価が低い。寮でもそうだったけど、僕は仕事はできないんでね。「いい人」であることによりカバーしているだけ。愛想だけよくしてればいい。

 

 あともっとライブとか見に行きたい。2016年はDJダイノジで始まったけど、結局12月に思い出したかのようにフラワーカンパニーズDeerhoof×OGREのライブに2日連続で行っただけだった。とりあえず2月のOGREのワンマンと京都メトロでやるマスドレは見る。あと平賀さち枝とナードマグネットとTOMOVSKYと...趣味に多くの時間を使えるのも今しかないと思うのでもっと楽しもう。

 

 太くて短い人生より、細くて長い人生がいいとは言ったけど、細くて長い人生より太くて長い人生がいいので、太い1年にしたい。からだは太くなりたくないけど。ああ、運動不足...

 

 では、帰ろう。横浜に。ああ、お年玉。

 

 よいお年を。

08079

今日は僕が生まれてから8079日目。

3×2693。

 

人生はだいたい30000日しかない。もうこんなに経ってしまったのか。今まで何をやってきたんだろう。これから何をしていくんだろう。

 

あー、なんだかなあ。

 

勉強しよ。

スピッツ

今日はスピッツという日本のロックバンドのデビューアルバム『スピッツ』について書こうと思う。

 
1991年3月、スピッツはメジャーシングル『ヒバリのこころ』でひっそりとデビューした。今から25年も前のことだ。そしてデビューシングルと同時にリリースされたのが1stアルバム『スピッツ』だ。1991年というのはNirvanaの『Nevermind』、My Bloody Valentineの『Loveless』、Teenage Fanclubの『Bandwagonesque』、U2の『Acton Baby』そしてDinosaur. Jrの『Green Mind』といった名高いアルバムがリリースされた年だと思うと感慨深い、気がする。
 
1995年の11枚目のシングル『ロビンソン』で大ヒットするが、デビュー当時は世間では全く認知されなかったようだ。
 
このアルバムは、キラーチューンがあるというわけではないが、1曲も駄作がない。ロビンソン以降のスピッツのような、大衆受けするポップも、疾走感のあるロックもないが、ただのマニアックな音楽ではない。安っぽくはないのに、”インディーズ感”を感じる。統一感があって、スピッツの中で最もアルバム全体として聴くに値するアルバムだと個人的には思っている。
 
スピッツの曲調やボーカルの草野マサムネの歌声は変わらず美しい。素朴でちょっとエロチックでそして、毒がある。いや、歌詞だけならば、かなりと言ってもいいのだが、彼の言葉選びが絶妙でトゲがない。だからなんだか可愛らしく聞こえる不思議な歌詞だ。
 
M11のうめぼし。うめぼしというのはおそらく女性の乳房にあるあれの比喩であろう。どうも僕が言うといくら婉曲しても、いやらしさが残ってしまうのが哀しいところであるが、草野マサムネが「うめぼし食べたい」といくら歌ってもまったくエロく感じないのが不思議だ。彼の歌声、人柄、すべてがそうさせていると思う。「君のおっぱいは世界一」といくら叫んでもそう感じさせない程であるから当たり前かもしれない。
 
分かりやすい比喩ばかりではなく、むしろほとんどが難しい比喩だ。M10の夏の魔物は夏になると、というよりも、夏を想いだしたくなるとつい聴いてしまう曲である。
幼いだけの密かな 掟の上で 君と見た 夏の魔物に会いたかった
夏の魔物」が何を指すかよくわからない。2人が会いたかったけど、会えなかったもの。なんだろう。赤ちゃんかなあ。わからない。。。ただどことなく切ない歌詞とメロディーがなぜか心に沁みる。解釈は色々あれど、そのあいまいな歌詞が余計にそうさせるのかもしれない。
 
もちろん『三日月ロック』も『フェイクファー』もいいけど、やっぱりニノウデの世界から聴いてみてほしい、と僕は思う。
 
最後に、僕はスピッツのカバーはあまり聴かない(聴きたくない)んだけど、小島麻由美夏の魔物はいいなあと思ったので、あえてカバーを貼って終わりにする。スピッツ夏の魔物は若くて青いけど、小島麻由美のカバーは、もう少し大人になってから、13年前の夏の終わりを想起している、そんな感じがするのだ。
 
 
 

ハナモゲラ語という音楽

 ぼくは音楽を聴くのが好きだ。小さい時から実家では毎日延々とJ-WAVEがかかっていたから、受動的ではあるが日常的に音楽を聴いていた。中学2年のときくらいになんちゃらチャートで上位に来るような音楽を興味本位で聴き始め、綱島駅TSUTAYAに毎週通うようになったのが最初だ。BUMP OF CHICKENを知ったのもこの頃だ。他にもアジカンとかくるりとか有名どころを登下校の2時間半くらいの間ずっと聴いていた。
 天邪鬼な人間だったからか、みんなが知らないような音楽を聴きたいと思うようになるのは中3のころだ。当時聴くのは専らロックだったため、テレビでは全く聴いたことのないミッシェルガンエレファントやフジファブリック、WRONG SCALEといったような邦楽ロックを聴いていた。当時は、ぼくの周りでこんな音楽を聴いているのは自分だけだと思い込んで無意味な優越感に浸ったりもした。そして同時に洋楽にも手を出し始める。テレビでは流れないような洋楽もJ-WAVEでは流れていたので、すぐに洋楽にもはまり込んでいった。当時よく聞いていたのは、ミッシェルに影響を与えたらしいという、クラッシュやドクターフィールグッド、ダムドそれにTahiti80やAsh、ニューオーダーといったようなバンドだ。ミッシェル関連以外は特になにか雑誌やらインターネットやらをみて曲を選んで聴くということはしなかったので、それらに共通点もない。なんとなくCDを借りて聴いてただけだ。(中学3年生のぼくにとってミッシェルガンエレファントは特別だった。)
 高校時代も中3の時とは根本的には変わらない。徐々に自分の好きなジャンルというのがわかり始め、パプロックやパワーポップといったロックのジャンルの曲を中心に広げていった。その後はヒップホップであったりR&Bであったり、アイドルだったりも選り好みせずに聴くようになる。高校時代になるとTSUTAYAだけでは聴きたい音楽が全然ないということに気付き始め1人で神保町に通うようになった。そのとき伊坂幸太郎の『砂漠』を読んで、大学入ったらラモーンズが好きなかわいい女の子と出会えるのかなとか思ったりしていた。
 おそらく一般の高校生よりも多くの音楽を聴いていたと思う。まあそれもそうで、ぼくは帰宅部だったし、かといって遊び呆けていたわけでもなく、それでいて勉強も大してせず、恋愛もしてなかったから、音楽を聴くかAVを見るくらいしかすることがなかったのだ。
 だけどぼくは大して音楽について喋る(語る)ということがそんなに好きではない。(嫌いではないし、今実際してるように、全くしないわけではない。)深くしない。その理由が最近やっと少しわかった。
 ここから本題に入ろうと思っていたのだが、すでに大分冗長になってきているので、この辺まで。また書きます。多分。結局ハナモゲラのハの字も出てこなかったな。